昨年、定年退職をされた方と話す機会があった。退職後、彼はNPOでボランティアをしている。あれこれ話すうちに給料の話題になった。
A氏「NPOの経営の大変さを近くで眺めていて思うのは、会社は良くあれだけの給料をくれていたと思う。私が言うのも何だが会社はどうやってあんなに儲けていたんだろうね。」(彼は有名優良大企業のエリートだった)
私 「Aさんから比べれば私の給料は微々たるものでしたが、いま、自分で会社を始めてみれば、何時あの給料分稼げるようになるか?判らないくらいです。お金の重みをしみじみ味わってます(笑)」
A氏「ほんと、組織から出てみないと判らなかったことだね。」
私 「そうそう!あの頃、こんな給料じゃ食べてゆけないだの、あれだけ働いてこれ?とか、言いたい放題言わせてもらっていましたが、今になって思えば何と傲慢なセリフだったことか・・・それに傲慢なセリフを吐いても誰も『それは違う』とは言いませんでしたよね。」
A氏「私もそんなこと言っていたよね。給料を渡すほうも、社長でさえサラリーマンだから、ありがたみが判っていないんだよね。」
大きな組織になればなるほど、自分たちで働いて儲ける。儲けたお金を分配するという根元の意識が希薄になってくるのではないだろうか?仕事の内容にしても、営業は営業のみ、経理は経理のみと分業体制になっているし、『全体把握』『高い視点』などとは判っているものの日々の業務に忙殺されているのが現実だ。疲れ果てて25日を向かえ、どこをどう巡ったお金かはわからぬまま、銀行口座に給料は自動的に(!)振り込まれてゆく。給料のありがたみなど、あまり感じることは出来ない。
営業も経理も総務も掃除当番も、何から何まで自分でこなす身分になった今、商売の基本というか根源というものを改めて認識できたような気がする。
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